のこ屋根日記7 一宮と桐生

写真展の最終日。
桐生工業高校出身の先輩後輩だという二人の男性が来場した。
前日に展示を見に来た、やはり桐工(きりこう)出身の友人から「桐生の写真が展示してあるで見てこい」と電話があったという。

昭和8年生まれ、桐生出身のAさんは、27年に桐生工業高校織物科を卒業してこちらに就職した。
「機屋(はたや)に勤めて機械直しでもやろうと思ってね。どうせ働くなら、桐生のような小さいところより大きなとこがいいって兄弟に言われて、それでこっちに。一宮は大きい、規模が違います。41年間勤めたよ」

一宮には群馬県人会があって、毎月喫茶店で集い旧交を温めるという。年に1回は総会もある。

もう一人、群馬県人会のBさんは太田市生まれ。昭和35年に就職して一宮に来た、やはり桐工織物科の卒業生。

「ぼくのクラスは50人。ちょうど機屋の次男、三男、四男なんていうのばかりで、跡取りがおらんかったんだな。クラスの20人がこっちに就職した。その中の6人がこっちで結婚して今も住んでる
同じ桐工の機械化の連中には静岡に就職したのが多かった」

桐生工業高校織物科は今はもうなく、染色デザイン科に名前を変えている。

のこ屋根日記6 珈琲

起には喫茶店が多い。
いやいや一宮いったいに多い。自転車で走りまわると、のこぎり屋根の次に「珈琲」「喫茶」の看板が目につく。

「ハタヤ(機屋)」の男は、仕事も家も女に任せ、商談をしに一日に何回でも喫茶店に行く。
「ガッシャンガッシャン、音がうるさくて、家では話ができないだわ」
朝の散歩で寄り、機械が動き出すと駆け込み、相談だぁ、休憩だぁと喫茶店に男たちは集う。
ハタヤを廃業したあとも、喫茶店通いの習慣は残った。

ご存じだろうか? モーニングサービスの発祥は、ここ尾張一宮なのである。
付いてくるのは一般的なトースト、ゆで玉子のほか、なぜか珈琲にピーナッツ、あられ、チョコレート、バナナ、ところによっては小さなおにぎり。
一宮 サンパウロ起の町でいちばん古いという喫茶店「サンパウロ」は7時開店。
4人席テーブル8つに2人席テーブル2つ。7:10に入るとそれぞれバラバラに座り、6つのテーブルが埋まっている。
入口近くのテーブルに座ったらテーブルに水が2つ置いてある。あら、誰かいるのかと隣のテーブルを見ると、そこにも水の入ったコップが1つ。何人もトイレに入っているわけでなし予約席かなぁ。たったひとつ、何もないテーブルがあった。よかった。
優しい年配の女性がオシボリと水を運んでくれる。珈琲とモーニングを注文すると、
「パンに何塗りましょう。バター、ジャム、小倉?」
と聞かれる。
小倉トースト、話に聞いたあんこをたっぷり塗ったトースト。サンパウロでは、珈琲のあとに昆布茶も出てくる。

いつの間にか、満席で相席もちらほら。この間、入口の扉はまったく開かない。雨が降っているのに傘立ても空いている。みなさん、駐車場に面した裏口から出入りしているのだ。
客は新聞を読み、テレビのニュースにはみなで反応する。朝もはよから、なんとも楽しげな空間なのだった。

のこ屋根日記5 銭湯

一宮 煙突は染め屋さん寝袋生活でも風呂には入りたい。
歩いて数分のところに「有馬温泉」と書かれた煙突があるけれども、すでに廃業している。
起に煙突はたくさんあるが、それは染屋さんのもの。煙突は織物の町の象徴であって、残念なことに銭湯を意味しないのだ。

今回の展示に全面協力してくれる名工大の男子学生がネットで銭湯情報を調べてくれた。
そして銭湯通いに欠かせないツールの自転車は、ながらく地域雑誌「谷根千」の読者の中村さんに貸してもらった。
実は中村さんの住む稲沢市が、起の隣町だということも今回初めて知ったのだ。いやぁ、愛知県は奥が深く、不思議なご縁に満ちている。

2日目の晩、一宮市北今字最鳥の「ゆうゆうのやかた」を目指す。
起にコンビニはない。いちばん近いローソンまで走り、まず一宮市の地図を買う。住所で目星をつける。南東におよそ3000メートル。しかし、目印になるものがなく、道を聞きながら向かうのだが、このあたりの人はおしなべてすこぶる親切。
歩いている人を見つけるのは大変だが、ひとたび道を尋ねれば、まったく知らなくとも、なんとか教えようとしてくれる。ともかくも、田んぼに囲まれた住宅街のお宮や曲がったところに、忽然と現れた建物が「ゆうゆうのやかた」だった。
「本日有料です」と札がかけてあるので、無料の日もあるのだろう。一般400円。
1階がレストランとカラオケルーム。2階が浴場で、薬湯、打たせ湯、サウナもある。お得でした。

翌々日の今晩は、名鉄一宮駅(JR尾張一宮駅の隣だが)のすぐ近くの「龍美湯」。
小さな銭湯で、400円。貸しタオルは10円。
下足入れは網型で愛らしく、湯船は5つに仕切られ、そのなかの2つは中央湯船で、浅い湯船と深い湯船になっている。とってもかわいい。
22時仕舞い湯で、カラスの行水よろしくさっと上がって、一宮駅よりバスで起は湊屋に帰ってきたのでした。

のこ屋根日記4

「起」はこの一字で「おこし」と読む。ちょっと珍しい。初めて目にしたときには読めなかった。
現在は合併して愛知県一宮市起だが、数年前までは尾西市起、尾西は「びさい」と読む。尾張の西という意味らしいが、三河の近くには、尾張の西の端ということで、西尾市がある。こちらの読みは「にしお」。
県外者にはまことにややこしい。

尾西市になる前は、愛知県中島郡字起町といった。
一宮 越の機屋(はたや)起の「のこぎり屋根」風景は大正時代から見られるが、戦後30年代にもたくさんの「のこぎり屋根」が建設された。
そのほとんどが「機屋(はたや)」と呼ばれる繊維産業の工場で、毛織物の一大産地だった。
この頃のことを「ガチャ万時代」と町の人は懐かしく回想する。機を一回ガッチャンとすれば一万円稼げる好景気だった。百回動かして百万。うなるように札束が飛び交った。

起の広さは谷中や千駄木より小さく、根津より大きい。
たったそれだけの地域に「のこぎり屋根」がなんと323棟。簡単に考えて、谷中にある寺のおよそ4倍の「のこぎり屋根」が町なかにあると想像してほしい。
右を見ても、左を見ても「のこぎり、のこぎり、のこぎり…」という感じ。つまり、町の人はすっかり見慣れ、見飽きて、その魅力に鈍感になっている。
「こんなの、そこらじゅうにあるで、なにがおもしろいもんか」
というわけだ。

のこ屋根日記3

美濃路起宿での、のこぎり写真展の会期中、私は会場の江戸末期築の商家、旧湊屋文右衛門邸(丹羽家住宅)に泊まりこむ。
宿泊費を浮かせるのが最大の理由だが、こんな家で過ごしてみたかった。もちろん、保存を目指して活動中なわけで、空き家になって以来、調査や見学会のたびに掃除はするが、宿泊したのは、昨年夏に夜通し調査と打ち合わせをした名工大の男子学生のみ。
例えて言えば、誰も住まなくなって久しい修復前の安田邸に寝泊まりしているような感じ。
もちろん、寝袋生活。
ここ湊屋文右衛門邸の主屋は裄行7間、梁行6間半の2階建て、切妻造り平入りの建物で、1階には玄関、店、奥店、中の間、居間、仏間、座敷、台所がある。
ほかに、土蔵が3つ、渡り廊下の向こうに離れがある。
正直に言うと、たった一人だとちょっとコワイ。
七輪を使ってのすき焼きパーティーの宴のあと、がらんとした家のなかで、さて、どこで寝ようと考えた。寝袋持って部屋をウロウロし、落ち着いたのが台所。
持ってきた仕事をしょうと思いながら、差し入れのビールを飲んだらダウン。結局、台所の床の上はきつくて、中の間にゴロゴロ移り寝入ったのでした。

余談だけど、なぜか夢に寅さんが出てきた。渥美清がトランク下げて写真展に訪れ、
「さくら、これはいい写真だ。耳をすませば、機織りのガッシャンガッシャンが聞こえてくるじゃあないかぁ」と、私の肩をたたくのでした。
そうそう、一宮は舟木一夫の出身地。映画「花咲く乙女たち」は機織り娘と、女工さんの昼ご飯を作る給食センターで働く青年(これが舟木一夫)の、前向きで正しい勤労青年の青春の物語。