論文 欧化主義の中心地、東京の明治のリボン産業 – 2016 年3月 産業考古学会 第 153 号

2016 年3月 産業考古学会 第 153 号
論文 欧化主義の中心地、東京の明治のリボン産業
Ribbon Industry Development during the Meiji Era in Tokyo, the Center of Westernization
権上かおる(1)、山﨑範子(1)、菊池京子(1)、真鍋雅信(2)、吉田喜一(3)
(1)Kaoru GONJO, Noriko YAMASAKI, Kyoko KIKUCHI:Yanaka Sawtooth-Roof Heritage Society
(2)Masanobu MANABE:THESHIBUSAWAWAREHOUSE.CO.,LTD
(3)Kiichi YOSHIDA:Tokyo Metropolitan College of Industrial Technology

要旨:2013(平成25)年9月、東京都台東区谷中で元リボン工場建屋が解体された。この建屋は、鋸屋根構造であった。この鋸屋根工場は、建屋を所有し使用者でもあった(有)旭プロセス製版会長の田中肇氏、地主であり元リボン工場経営者の子息である鈴木晴雄氏の聞き取り、および建築家等の実測調査から明治期築であることが知られていた。

同年8月の解体を知らせる看板の掲示後、保存活用を願って地元有志による「(仮称)谷中ののこぎり屋根を愛する有志の会」が発足し、9月20日に鋸屋根構造のわかる部材の一部保管のための取り出し作業後、会名を改め「谷中のこ屋根会」(以下会)とした。

会は、鋸屋根部材の一部、洋書を中心とした渡辺四郎の蔵書とみられる文献資料とリボン見本帳、渡辺四郎の自筆ノート、工場で製造されたリボン現品を、元リボン工場経営者の子息である鈴木晴雄氏より譲り受けた。

我々は、文献目録の作成、リボンの見本帳調査、関連文献調査、聞き取り調査の中で2つのことを発見した。

1. 1894(明治 27)年、岩橋リボン製織所(下谷区谷中初音町 4)は、日本で最初の動力織機によるリボ ン生産を行った。( 注;下谷区は東京都台東区一部の旧名 )

2. 経営を引き継いだ千代田リボン製織・製織所(同地)は、大正時代には東洋一の技術であった。 我々は、日本のリボン産業がこの地で始まったのは、東京は西洋文化の入り口であり、中心地であっ たことが大きいと考える。千代田リボン製織社長、渡辺四郎のリボン見本帳を中心に当時のリボン産業 の創成を考察する。欧化主義の中心地、東京という土地ならではの明治のリボン産業について報告する。

論文の全文は以下のPDFファイルをごらんください。
[PDF] 欧化主義の中心地、東京の明治のリボン産業(『産業考古学』第153号)2016年3月