大正14年の資料にある取締役の八田熙は、社長であった渡辺四郎の亡きあとに引き継いだ。昭和2年、金融恐慌により渡辺家は破綻。その後のリボン工場を引き継いだのが渡辺四郎とともに技師として入社した鈴木哲である。工場資料はこの鈴木家より譲渡されたため、そのほとんどが昭和2年以降のものになる。
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大正14年の資料にある取締役の八田熙は、社長であった渡辺四郎の亡きあとに引き継いだ。昭和2年、金融恐慌により渡辺家は破綻。その後のリボン工場を引き継いだのが渡辺四郎とともに技師として入社した鈴木哲である。工場資料はこの鈴木家より譲渡されたため、そのほとんどが昭和2年以降のものになる。