フランス、サン・テチエンヌのリボン織機

長崎総合科学大学で建築学を教える山田由香里さんから、 フランスのサン・テチエンヌ 博物館を訪れたときの写真とレポートが届きました!


2012年にフランスのサン・テチエンヌに行ったときに産業芸術博物館でリボン織機の展示を見ました。そのときに撮った展示の写真です。

サン・テチエンヌは、水力と石炭に恵まれた町で、それを動力にしてリボンと猟銃と自転車の一大産地でした。16世紀からフランス王侯貴族のファッションや文化を支えていた町です。

19世紀にリボンと猟銃が斜陽になると、自転車を産業として興し、ツール・ド・フランスに代表される高速自転車を作ります。

マニュフランス社というヨーロッパ初のカタログ通販会社が1887年に設立された場所でもあります。目玉商品は、猟銃、自転車、ミシン、タイプライターでした。他にあらゆる生活用品を扱っていました。ヨーロッパ内だけでなく、世界中に飛び出したフランス人宣教師たちの生活も支えていました。

なぜこの町まで行ったかというと、マニュフランス社の大工道具が、長崎の教会堂をつくった鉄川与助の大工道具に含まれていたからです。長崎にいたフランス人神父が1910年頃にカタログ通販で購入したものと思われます。この話にご興味のあるかたは、『鉄川与助の大工道具―長崎の教会堂に刻まれた知恵と工夫』(山田由香里、2018年、長崎文献社)をどうぞご覧ください。

リボンの展示も大変美しかったです。幅広の、体にまとう布のようなリボンもありました。

産業芸術博物館などのHPはこちら。http://www.mai.saint-etienne.fr/https://madamefigaro.jp/travel/feature/171214-saint-etienne-museum.html

この話を山崎範子さんにしたところ、なんと、谷中のリボン工場、「千代田リボン製織」の技術者でのちに社長になった渡辺四郎の集めた資料の中(リボンの見本帳)にサンテチエンヌの1898年のリボンがあるとのこと。びっくり、つながりました。(そのリボンはhttps://nokoyane.com/wp-content/uploads/2015/06/B.pdf の見本帳No.27に)

サンテチエンヌは、長く、労働者の町でしたが、近年は、コルビュジェ設計で工事が途中になっていたサン・ピエール教会を2006年に完成させるなど、デザイン・シティとして生まれ変わっています。サンテチエンヌの町は、のこぎり工場のあるどの町にも可能性があると背中を押してくれます。


山田由香里さんには昨年、2019年10月6日に記憶の蔵での谷根千学級で、「長崎の世界遺産と登録文化財 ~潜伏キリシタンは谷根千にもつながっている」のお話をしていただきました。森まゆみさんが『地域人』で連載する「暮らすように町に泊まる」の49号、50号の長崎紀行(前・後編)で案内と撮影で協力もしていただいています。元気な二人の男の子のお母さん。このサンテチエンヌ行は新婚旅行だったそうです。

山田由香里さんの教えてくださったサイトの

https://madamefigaro.jp/travel/feature/171214-saint-etienne-museum.html には、

「 20世紀半ばまで、職人たちは自宅で作業をしていた。リボン織りに使われていた機械が会場に展示されているが、なかなかの大きさ。これが入り、作業に必要な採光を得られる家をリボン職人は必要としたため、窓が大きく、天井が高い家に住んでいた。いまもそうした家の名残りを市内で見つけることができるそうだ」とあります。

行ってみたいなぁ。ありがとうございました!  やまさき

“フランス、サン・テチエンヌのリボン織機” への5件の返信

  1. このリボン織機の古さはすごいですね!!
    また調べて投稿しますが、感嘆したのでまずコメント
    そういえば、リボンの見本帳は典型的なカタログ販売ですね。

  2. ひゃあ。素晴らしい投稿が来ましたね。鉄川与助の大工道具がリボン織機に繋がるとは。山田さん、ありがとう。うちの大工の息子にも聞いてみます。
    山崎さん、山田さんとあなたの文章の境をはっきりさせてください。今wikiで調べただけですが、リヨンから南西に50キロ、フランス革命時代は「武器の町」と呼ばれていたとあります。

  3. 山崎範子様、みなさま
    喜んでもらってうれしいです。日経の山崎さんの記事を読んでから連絡しなくちゃと思っていて、自宅待機になったのでようやく送れました。日経の記事、いい記事でした。みなさんの感嘆ぶりから、すごい織機だと伝わってきました。
    岐阜の各務原市に勤めていたときに、民家調査をする中で、田畑の中の個人の家にあった織機の存在を教えてもらいました。ガチャマンと呼んでいて、織機がガチャっと一回鳴ると、万のお金が入る。それぐらい、一時期はよかったそうです。この頃から織機に興味があります。
    サンテチエンヌはリヨンに近いです。リヨンも絹織物の町です。布の束を雨に濡れないように持ち運べる通路が中世の住宅の中を縦横に走っていてびっくりしました。戦時中は市民活動の地下通路になったそうです。
    まゆみさんの言う通り、サンテチエンヌは武器の町です。王立の武器工場がありました。この武器工場の跡地はアートセンターになっていて、アーティスト・イン・レジデンスの拠点です。町の歴史と文化と現在が本当によく噛み合っていました。
    私もサンテチエンヌにまた行きたいです。

  4. サンティチェンヌのエンブレムリボンは三大産業(鉱山と大砲とリボン織機)の模様です。
    行きたいですね!

  5. 中部産業遺産研究会の石田正治です。リボン織機の写真、拝見しました。16本のリボンを織るものと12本のリボンを織る織機が各1台ありますね。この内、12本リボン織機は同じものをリール、ルーベ繊維博物館で私はみました。ルーベ繊維博物館のものは1884年製のSaint-Etienneのメーカーで造られたものです。メーカー名がわかりましたらお教え下さい。リボン織機は、ジャガード織機の一種で、リボンは織る幅が細いために、数台(ここでは12、16)のジャガード織機を1台に合わせたものです。シャトルがリボンの本数分あり、連結されて同時に動きます。また、同時に違う図案で織り出すこともできます。

    中部産業遺産研究会の石田正治 さんが送ってくれた写真

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